Warwick Castle

ウォリック・カッスル

会社所有

2001年7月3日訪問

所在地  イングランド中部 ウォリックシャー
お勧め宿泊地  ウォリック
(ロンドン、メリルボーン鉄道駅からバーミンガム・スノーヒル方面行き列車にて、ウォリック下車。2時間弱。)
公共交通機関 町の中につき徒歩
公開日(2001年度) クリスマスを除く毎日10時から6時(冬期5時)

英国史上名高いウォリック・カッスル、しかし今まで一度も訪れたことがなかったのは、マダム・タソーの会社に売却されて以来、城がアミューズメント・パークと化したとの噂を耳にしていたからだ。半信半疑というか、全く期待しないで出かけた、その成果の程は?

アーチに絡むフェリシテ・エ・ペルペチュ、ウォリック・カッスルの薔薇園にて。

 

カッスル以前に、ウォリックの町に関する記述がだらだら長いので興味ない方は飛ばしてください。

バンベリーからウォリックの町まで

 今日はラウシャム・パークに行くつもりだったが、朝食時に急に思いついてウォリック・カッスルに行く先を変更した。でも、実はここについてはあまり良い印象を持っていない。知られている通り、何年か前にマダム・タソーの会社の所有となり、俗悪な場所になってしまったとの話を耳にしていたからだ。そのことを言うと、宿の女主人は昔のウォリックのパンフレットを見せてくれた。彼女自身は現在の所有者になって以来、訪ねていないが、評判は悪くない、と言う。現に、先日泊まったドイツ人の夫婦は非常に感銘を受けて帰ったそうだ。その言葉信じて良いものだろうか。「アメリカ人夫婦」だったら、判断しやすい(即ちその美意識の基準に大いに問題がある。即ちまるで信用ならない)のだが、ドイツ人は常識的な人種だと思うし。

 9時25分の列車でウォリックに向かう。10時頃、ウォリックの1駅手前で、教師に引率された子供が沢山乗ってきた。何だか非常にいやな予感がする。果たして予感は的中し、彼らもウォリックで下車。まずいなー。

 駅は少し高台にあるが、ここから伸びる下り坂をぞろぞろと歩いて行く。途中で見た地図によると、真っすぐウォリック・カッスルに行く道と、町の中心に向かう道が分かれている。子供たちは城の方に向かうようなので、こちらは別の道を取り、中心街の案内所を目指す。交通量は多くて騒々しいものの、古い建物が軒を連ねるウォリックの町並みは、雑然として騒々しいばかりのバンベリーとは全く違う。

 案内所で、ケニルワースへのバスについて尋ねる。バス便は意外に多い。案内所の女性は、すぐ近くにあるセント・メアリー教会を是非見るべきだと強く薦める。確かにウォリックには随分沢山見るものがある。バンベリーとは大違いだ。バンベリーではなく、こちらに泊まるべきだった、と案内所の人に言う。バンベリーはごみごみして少しも美しくない。女性いわく、ビジネス関係者が多いから、せわしい町なのだと。

 実は最初、まずケニルワースに行き、その後でウォリック・カッスルを見るつもりだったが、ウォリック・カッスルには少なくとも4時間必要とのことで考えを変えた。最初にウォリック・カッスル、その後にケニルワースにしよう。まずその前に薦められた教会に行ってみることにする。案内所を出て右手、教会の姿は道の向こうに見えている。大聖堂ではないが、歴史のある古い教会だ。中は非常に美しい。左手奥のチャプター・ハウスの中に、ウォリック城に出る幽霊と言われる初代ブルック男爵ファルク・グレヴィルの墓がある。扉が閉まっていて中には入れず、外から眺めるだけ。中が暗くて殆ど見えないせいもあるが、目の前にどーんと大きな墓石を中心にして集うチャプター・ハウスって何とも不気味だ。しかも出るときては…。まあ、出るのはこの場所ではないらしいが。

駅から中心街に向かう途中にある建物。市門の名残? セント・メアリー教会。外観は目立たないが内部は壮麗。 同教会内部、ビーチャム・チャペル。

 反対側にビーチャム・チャペルと名付けられた一角がある。中央に麗々しく安置されているウォリック伯リチャード・ビーチャムの墓。墓の周囲には彼の親戚の像が刻まれている。強欲な人物として描かれているリチャード・ネヴィルの姿が珍妙だ。ここの説明文を読んで、このリチャード・ネヴィルはソールズベリ伯である父の方だと思ったのだが、後で絵葉書を見ると息子のウォリック伯と書いてある。説明を読むとき勘違いしていたのか、それとも絵葉書の説明が間違っていたのか、真実は不明である。ビーチャムの墓に刻まれているリチャード・ネヴィルはどっちなんだ。教会のガイドブックには、「キングメイカーの名の方が知られているソールズベリ伯爵リチャード・ネヴィル」とあるが、この書き方は親子を混同してないだろうか。それとも息子ウォリック伯リチャード・ネヴィルも、後、ソールズベリ伯になったのだろうか。(だとしたら生涯ウォリックと呼ばれていたのも妙。)うおー、わからん。

 左手の壁には、エリザベス女王の寵愛の深かったレスター伯爵(ロバート・ダドリー)夫妻の美しい墓、右手の奥にはレスターの息子の墓がある。随分小さな墓だと思ったら、夭折したのだった。ウォリック城には、彼の小さな鎧が展示してあるそうだ。ロバートの兄弟のウォリック伯アンブローズ、ノーサンバーランド公ジョン・ダドリーの四男、と歴史の宝庫だ、ここは。

レスター伯爵ロバート・ダドリーは最近は映画「エリザベス」、古くはスコットの名作「ケニルワースの城」など。ここに埋葬されている伯爵夫人は「ケニルワースの城」のヒロインで謎の死を遂げたエミー・ロブサートではなく、二度目の夫人。

ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーはレディ・ジェーン・グレイを担いだ「9日女王」事件の首謀者。

 教会の中をぐるぐると歩いているうちに、先程閉まっていた地下墓地の入り口がいつの間にか開いていることに気づいた。別に入るなとも書いてなかったので、階段を降りてみる。どっしりとした太い柱が低い天井を支えている。中には誰もいない。ひんやりとして静かで当然ながら気味が悪い。奥行きが意外にあるのだ。奥に進むと更に左手の方に部屋が続いている。床にはあちこちに名前を刻んだ墓石と思しきものが埋め込まれているが、これって単なる記念碑、だよね。まさか本当にこの下に埋まっているのだろうか。それにしても、誰もいないなあここ。妙な木の車のようなものがあるので、農機具か何かと思ったら、これは拷問に使われた道具で、人間をくくりつけて水につけるのに使われたのだった。確か、200年ここにおかれているとあったような気がした。

 出る時に、ようやくこれから入っていこうとする人とすれ違う。中で鉢合わせしないで良かった。お互いに怖かったろうし。

 教会内にはかなり大きなギフトショップがある。ここでガイドブックなど買おうとしたが、レジが無人。お金を払おうとひとを探していると後からとことこやってきた。教会には良くあることだが、教会で万引きするようなあこぎなやつはいないと人間を信用しているのか、それとも単にのんびりしているだけか。

 

ウォリック・カッスル

 さて、いよいよ今日のハイライト、ウォリック城訪問である。案内所の女性が、城にはいくつか入り口があるけれど、町からの入り口はここからすぐと言っていたが、本当だった。目と鼻の先である。しかし、入場料が11.50£とは馬鹿高いのに仰天した。常識的な入場料の倍額である。が、折角ここまで来て帰るのも馬鹿馬鹿しいので、騙されたと思って入ることにした。結局、本当に騙されたとの結論に達したのだが、そのことが証明されただけでも得ることがあったと言えよう。今まで、私は実際にみたこともなく、半信半疑の状態でウォリック・カッスルを良く思っていなかったが、現在では実際に見た訳で、自信を持って悪く言えるからだ。

 更に、子供のグループが異常に沢山いるのに恐れおののく。右手に聳える堂々とした城の姿は流石だ。アニック・カッスルを思い出す。随分人だかりがしているので何かと思ったら、中世の甲冑を身に着けた人が、声高に色々と説明をしているのであった。なんかこれって、いかにもアミューズメント・パークだよな。

 最初に薔薇園へと向かう。薔薇園は左手に目立たぬ案内が出ているので、殆ど見落としそうになる。が、ここを進むと薔薇のアーチが現れる。延々と続く薔薇のトンネルを通る訳だが、花の時期には少し遅く、それが残念だ。ようやく到着した薔薇園は何と芝刈りの真っ最中でその騒音たるや真に凄まじく、到底薔薇を愛でるような状況ではない。商業主義の庭なら、それに徹し、お客さんが入っていないときに手入れするくらいのサービス精神があってしかるべきだと思う。更に印象が悪いことには、肝心の薔薇の周囲に網が巡らしてあって、近づいて見ることが出来ないのだった。イングリッシュ・ローズがある。柱に咲き始めている白いランブラー・ローズ、一見してリトル・ホワイト・ペットの花に見えるランブラー・ローズはフェリシテ・エ・ペルペチュだとわかった。アデレイド・ド・オルレアンのアーチ、紫色のスヴニール・ド・ドクトル・ジャメイン、最初にくぐった終わりかけている薔薇のトンネルはアルベリック・バルビエらしい。殆どの入場者はここには来ない(気づかないのかも)ので、人気がないのは良い。その割には日本人の夫婦ものが後からやってきた。ところで、ここには絶対あると思って探したイングリッシュ・ローズ、ウォリック・カッスルは見つからなかった。奇妙な話だ。オースティンとケンカでもしたのだろうか。

(日本語のカタログではカタカナで「ワーウィック」・カッスルと書いてあることが多い。幾らなんでもこれはハズカシイ。)

薔薇園の入り口のアーチ。この背後にあったトンネルは殆ど花が終わっていた。 確かこれがアデレイド・ド・オルレアン。
ちょっと見はまあ良いが、花に近づけないのだ。
木立の間に城が見える。 スヴニール・ド・ドクトル・ジャメイン。なかなかきれいだった。遅咲きなのかな。

 次は城だ。堂々たる正面の門を潜り、その壁の分厚さに感心する。入り口が幾つにも別れている。地下牢の入り口は凄い行列なので、ここは避け、隣にあるウォリック・ザ・キングメイカーの部屋に入る。ここは蝋人形を並べて録音テープを流す、お化け屋敷のようなもので、所詮それだけなのだった。すいている場所を次々回り、例の従者に殺されたという当主の幽霊が出るというゴースト・タワーにも入ったが、中は暗くて良く見えないし、だからなんだと言う感じだ。

ゲートハウスの下を潜る。この辺りが一番ムードあった。 見晴台からの眺め。景色も良いが、屋根の葺き替え工事も見えた。ははは。
いかにも出そうな雰囲気であるが、単に映りが悪かっただけ。 ケイパビリティ・ブラウンが手がけた大庭園。暑さとガキどものやかましさにへばってしまい、高台から見下ろしただけ。

 外に出て、高台の見晴らし台に上り、ここから敷地の様子を眺める。広大な敷地が一望のもとに出来るこの高台は本当に良い眺め。しかし、天気が良すぎて暑く、あまり歩き回る気力がないのが残念だ。

 期待していなかった割に意外に良かったのがピーコック・ガーデン。温室の傍らに作りかけらしい孔雀のトピアリーがあり、薔薇の植え込みや噴水もある。人も比較的少なく、ちょっとしたオアシスと言っても良い。特にサービス精神旺盛な生きている孔雀たちは、ファストフード店で仕込まれたのではないかと思う程お客に愛想を振り撒いてくれる。(単に己の羽根を見せびらかしているだけだったりして。いやひょっとしたらお客に求愛していたのかも知れない。)しかしここでも同様に薔薇のすぐ近くには近づけないのであった。うーむ。

ごく地味だが比較的閑静で居心地が良かったピーコック・ガーデン。あちこちにトピアリーが。 背後にあるのがコンサーバトリー。
沢山の孔雀たちはサービス精神旺盛。流石アミューズメント・パーク育ち? まだ未完成のようなトピアリー。意外にかわいい。

 

 結局何時まで待っても大混雑の地下牢はパスすることにした。比較的すいていた、ロイヤル・ウィークエンド・パーティとやらは見た。ここもマダム・タソー自慢の蝋人形の展示である。

 しかしどこに言っても大騒ぎする子供の群れと動物のような中高生の群れにはホトホトうんざり。我慢の限界に達したので町に戻ることにする。結局、4時間なんて必要ではなかった。

 

ウォリック・カッスルなんか嫌いだー

  結局、ウォリック・カッスルの印象は「アミューズメント・パークと幼稚園とき○○い病院の合体」したもので、お子様を楽しませる(またはお子様の娯楽が楽しめるヒト)には最適かも知れないけれど、普通の大人が訪ねるところではない。11.50£という法外な入場料も理不尽だ。

 薔薇園はかなりきれいだったし、ブラウンが手がけた庭園の方も見ごたえがありそうなので、庭だけ割安で見られるのなら入って悪いことはないかも知れないが、この近くにはここよりもお薦めできる場所が幾つもあげられる。

 財政難の貴族が悪戦苦闘しながら経営していた頃より、現在の方が万事に整備されているという利点はあるにせよ、私には金のために、もっと大事なものを売り渡した場所といった気がしてならない。ウォリック・カッスルはナショナルトラストが入手するべきだったのだ。由緒あるウォリック・カッスルがアミューズメント・パークと化したなどと、国の恥である。

ウォリック・カッスルの現状についてその後何度かイギリス人と話してみたが、名前を口にするとみな「うへー」という顔をする。肯定的な人は結局、宿の女主人だけだった。

 気を取り直してケニルワース・カッスルに向かうことにして、ここを後にした。結果から言えば、ウォリック・カッスルはこの日見た最悪のものであり、この後偶然入った小さな庭と最後に寄ったケニルワース・カッスルは、ウォリックの埋め合わせに充分なったのだった。その話はまた次の機会に。

 

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