Montacute House

モンタキュート・ハウス

ナショナル・トラスト所有

1999年7月2日訪問

所在地  イングランド南西部 サマセット
お勧め宿泊地  ヨーヴィル
(ロンドン、ウォータールー鉄道駅からプリマス方面行き列車で2時間程度、ヨーヴィル・ジャンクション下車)
公共交通機関 ヨーヴィルよりの路線バス
公開日(2001年度) 〜11月、火曜以外の12時から5時半

 

ヨーヴィルにて(肝心のハウスに出かけるまでのあれこれ)

 1999年7月2日金曜日、6時頃起床。今日はモンタキュート・ハウスとティンティンハル・ガーデンの2つを訪ねる予定だ。

 7:45頃朝食に行くと、昨日のオヤジさんではなく、フィリピン人のように見える女性が食事を作ってくれた。ああ、だから前夜支払いしてくれって言った訳ね。

「フィリピン人だよね、多分」「いや、実はフィリピン人のような顔した日本人で、ここで話していたアホ話が全部筒抜け」。でも真相は不明だ。

 8:50頃宿を出て、10分程で坂道を下り、中心街に着く。昨日ジャケットを買って預けてある店に入る。

レジにいる年配の女性を見て、「あの人、昨日の人だよね。絶対に昨日と同じ人だよ。あのオバチャン」「うん、昨日のオバチャンと思う。でも、イギリス人て、信じられないくらい似た人って意外にいるんだよ」とR嬢。彼女の方が英国滞在期間が長いのでいろいろ怪しいことを知っている。でも、まさかね、と思いつつまずは声をかけてみる。
「すみません、昨日の」顔を見た段階で昨日の人だったら向こうですぐに用件わかるだろうと思ったが、怪訝そうな顔をしている。「あの、昨日、ここでジャケット買って預かって貰っていたんですけど」

 用意していたレシートを見せると彼女、奥の方からメモ紙を貼りつけた袋を持ってきてくれた。

「ね、違ったでしょ」とR嬢。「違ったみたいね。でも、あの人だと思ったんだけどなあ」と私。「うん、私もそう思った。でも、いるのよ。絶対同じ人だと思ったのに違うことが」。その時はイギリスのクローン的女性の存在に妙な感心していたのだが、今にして思えば、別の考え方も出来るのではないだろうか。つまり、その人はやっぱり同じ人なのだけれど、昨日頼まれたことをきれいさっぱり忘れていたという可能性。その方がイギリス人らしいような気がする。

 この店では他に、小さいながらずっしりと重い金属の狐ととぼけた顔をしたペンギンの缶を買った。古着の他に、本やアンティーク、訳のわからぬガラクタも置いている。

 次に町の案内所で宿の予約を頼む。当初の予算はひとり20£だったが、この予算では無理と言われたので、ふたりで45から50£の線で探して貰う。地方の宿にしてはかなり強欲だと思う。結局45£で見付かった。

 市が立っていて町は賑やかだ。ペット・ショップの前、屋根、店のディスプレイの上とあたり構わずびっしりと鳩が止まっている店がある。

「あんなにハトにたかられて、店の人、良く平気だね」「細かいことを気にしないのがイギリス人だね」「いや、実はあれ全部あの店の鳩なのよ。で、お客さんが来たら、注文された鳩を捕まえるの」「屋根の天辺にいる斑のハト下さい、とかね」「お客さん、自分で捕まえて下さい、と網を渡すとか」。私たち、漫才をする為にイギリスまで来ているんだろーか。

 バス・ステーションのオフィスで、昨日の約束通り荷物を置かせて貰い、17:10のバスで町に戻るので、と念を押した。事務所は5時に閉まるということなので、念を押しておかないと。

 

モンタキュート村へ出発

 モンタキュート行のバスは10:00発、年配の女性客が多い。10:17にはモンタキュート・スクエアに着いた。この村で生まれたと言う乗客の女性が、降りる場所を教えてくれた。本当に村を愛しているようだ。手を振ると、乗客全員が手を振り返してくれた。素朴で楽しい。

 小さくて美しい村だ。ハム・ストーンと呼ばれる黄色味の強い石材を用いて作られた家々。至るところに薔薇、紫陽花やクレマチス等が咲き誇っている。

 

 

 

 

 

庭先で苗を売っている家があった。壁に取り付けられた金属製のハンギング・バスケットは本来雨樋の備品を利用したもので、Hopper Headと呼ばれているそうだ。

 小さなアンティークの店があった。窓辺に幾つかの品を並べて、御用の方はどこどこのベルを押して下さい、とある。面白そうなので時間があったら後で寄ろうよ、と言ってその場を立ち去る。そして、まず例外なくそこに寄る時間はなくなるのである。(この時も勿論そうだった。)

 この村にはR嬢が絶賛する小さな教会、セント・キャサリンがある。大層古い正面入り口の上には、以前聖人の像が置かれていた筈の空間がある。この空虚な場所を目にするたびに暗然とした気分になる。チューダーのヘンリー(8世)の仕業か、それともピューリタン(クロムウェル一派)のせいか。どっちにせよいやな奴らだこと。(ここで個人的な政治的見解に触れると筆者は頑固なヨーク派でチューダー王朝は大嫌いなのである。)

 内部にはモンタキュート・ハウスの持主であったフェリペス一族の墓処がある。中世の素朴な夫妻の墓像はR嬢のお薦め。「これが好きなのよね。埴輪みたいで素朴でしょ。笑っている。良い顔だよね。でも、100年後のチューダー期の夫婦墓像はもう、こんなに厳しい表情しているの。この間に一体何があったんだろう?」

 最後の当主の記念碑を見ると、1919年に死去していることがわかる。大戦終結の翌年だ。この家が断絶したのはやはりその影響なのだろうか。(その後、調べたらこの教会に記念碑が残っている最後の当主というだけで、フェリペス一族は存続していることが判明。ただし、この人の死後、モンタキュート・ハウスは一族の手を離れている。)

 教会は無人だが、周囲は良く手入れされている。敷石の間にはカンパニュラやラヴェンダー等の清楚でロマンティックな植物が溢れんばかりに咲いている。ここの教会の人は庭作りになかなか熱心なようだ。周囲を散策していると、すぐ足元に墓標があり、踏みそうになってちょっとどっきり。

 墓地には古い洗礼盤がまるで捨てられたように置かれていたが、内部の碑文では、死にかけている人々の為にここに移されたのだと言う。多分、疫病が流行した時、なのだろうな、これって。

 まだ新しい墓の上に咲き誇る鮮やかな薔薇。隣の墓と比べると、主のふたりの女性はほぼ同世代。

「多分、このふたりは生前知り合いだったよね。幼なじみだったろうし」。

その近くには同年配の男性の墓がある。そのようなことを考えると、想像は無限に広がる。「小さな村だから、みんな知り合いだよね」。

この村で生まれてこの村で死んだのだろうな。生涯数える程しか村から出なかったかも知れない。そんな人生も悪くないかな、と思う。現代人はあまりに慌しすぎるのだ。

 10:15頃、教会を後にモンタキュート・ハウスへと向かう。途中にあった電話ボックスで帰りに備えてタクシーを呼ぶ。4時間後の14:45にパブ、フェリペス・アームズの前。前にもあったが、パブを目印にするなんて本当にイギリスっぽいムードで良いな。と言うか、実際にはパブ以外に目印になるようなものないのだ。これが本当の話。

 ハウスに向かう途中、ロングヘアのダックスフントを連れたちょっと渋い紳士と会う。まさか、この人、館の住人? その後、妙になつっこいヒマラヤン風の猫とも会った。

 

モンタキュート・ハウス

 

 さて、いよいよモンタキュート・ハウスだ。この館の庭は有名だが、実を言うとここにこれ程壮麗な館があろうとは全く予想していなかった。ジャコビアン様式の古風な建物だ。

 まず最初に館の全景を眺める為に西門の近くまで後退。

  

かつての正門の前から館を眺める(左)と閉ざされた門(右)。昔の光、今いずこと言う感じだ。

 以前はここが正面入り口であったと言うが、今は閉ざされている。そのせいか、門は生長した木の蔭になって幾分暗い感じだ。門の左右の石塀はやけに低く、簡単にその上に座ることが出来た。外は車道だ。入ろうと思ったらここから勝手に出入り出来る。特に門から外を向いて左側。(なんてことを妙に記憶している。)

 館の方に引き返し、北面の広大な整形式庭園を見た後、館の東に接するEast Courtへ。ここには写真で良く見る鮮やかなボーダー花壇がある。R嬢は好みでないと前から言っており、私も写真を見る限りではそれに同意していた。が、実際に目にしてみると、思ったよりもずっとまともなのだ。意外に美しいじゃない、これ。が、困ったことがひとつ。入った途端に入り口近くの柴刈りと館の修復工事が始まり、うるさいこと甚だしい。

整形式庭園(The North Garden)から館を望む。芝の中央の囲みは池。 池の傍らからThe East Courtを望む。館は右手の方。

The East CourtからThe North Gardenを一点透視。 左の写真の近く。クレマチスが満開だった。

 館の東側にはライムの並木が続き、小さな門の向こうに広大な放牧地が開けている。草を食む羊の姿が点々と見える。こちらからの全景を見る為に後退。横手から外に出られたので更に後退する。ここは既に羊の牧場の中だ。眺めが実に素晴らしい。反対側を見返ると、この向こうにフットパスが続いているようで、遥か遠くに犬を散歩させている人の姿が見える。

牧草地から館を望む。館の左右の翼のように見えるのはThe East Courtの左右の東屋。この館の真反対に西門と並木道がある。 右手がThe Cedar Lawn、このあたりが何と言う名かは不明。

 East Courtの南に接するThe Cedar Lawnはその名の通り針葉樹主体の地味な庭だが、整然と刈り込まれた木々と林立する古びた石柱など、花の庭の華やかさとは違った好ましさがある。人の姿が殆どなくて、実に静かなこと。巨大な針葉樹の垣根があり、それが異様にうねうねと波打っている。

「凄いね、あれ。どーやったらあんなのが出来るんだろう。不思議だね」R嬢は素直に感心する。私はずっとさめている。「どーやってって、別にどーもしてないんじゃない。あのへんなうねうねは風のせいで自然にそうなったと思うよ」「本当? 時々トピアリーでも微妙に形が違うのがあって不思議だと思っていたんだけど」「それも風のせいだって。日本人なら何としても整然と仕立てると思うけど、イギリス人だから気にしないんだよ。きっと」「そーだね。イギリス人だから」。(誤解を招かぬように書きますが、わたしたち、ふたりともイギリス大好きです。)

さて、その時は絶対そうだと信じていたのだけど、真実はどうなんでしょうね。この変てこな庭のベンチでお弁当を開く。安いのにつられて買ったパンケーキにマーマレードを挟んだもの。パンケーキには既にメープルシロップが染ませてあったので、これが死ぬ程甘い上に、ぼろぼろに崩れる。手はべとべと。目の前にあったちっちゃな池は手を洗うのに丁度良い。(この池で手を洗わないで下さい、とは書いてなかった。)

 庭を見た後、いよいよ館の中に入る。これがまた広い。沢山の部屋があり、見落とさないように巡るのは大変だ。古い肖像画が多い。特に最上階はナショナル・ポートレート・ギャラリーの出店とかで、歴史上の人物がずらりの壮麗さだ。ジェームズ1世の皇太子だったヘンリー王子の肖像画がある。R嬢は前にも見ているのだ。「病的でとても気持ち悪い顔しているでしょ。彼」「でも彼が早世するなんて誰も思っていなかったんだよね。おまけに弟のチャールズは病身だったし」。王子時代の弟チャールズ1世の肖像画もあった。即位後の肖像は良くみるけれど、これは珍しい。かぼちゃのようなズボンも珍しいぞ。(この人の後世の服装は全然違っているので、なんだか違和感がある。)ランカスター、ヨーク家の王たちもいた。勿論リチャード3世も。

 出窓から眺めた庭の景色が大層印象的。何百年以前から、この眺めは変わっていないのだろう。何か物語が作れそうだ。今頃になって、曇りがちだった天気は次第に良くなってきた。

 売店を見ているうちに、時間がぎりぎりとなり、R嬢は一足先にタクシーのj待ち合わせ場所に行く。約束の14時45分丁度に来て待ってくれていたそうだ。

 

 ティンティンハル・ガーデンへと続く

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