Heale House Garden

ヒール・ハウス・ガーデン

個人所有

1999年6月29日訪問

所在地  イングランド南西部 ウィルトシャー
お勧め宿泊地  ソールズベリ
ロンドン、ウォータールー鉄道駅からエクセター方面行き列車で1時間半。
公共交通機関 ソールズベリよりの路線バス、本数が少ないのでタクシー利用が便利。
公開日(1997年度) 連日10時から5時、プラントセンター、アンティークも扱うショップあり。

 ヒール・ハウス・ガーデンは、それ程知名度は高くないが、ひっそりとした雰囲気がなかなか素敵だった。ただし、今年訪ねた従妹の話では、大分雰囲気が変わってしまって、失望したとのこと。残念である。

ソールズベリからヒール・ハウス・ガーデンへ

 夜中に雨が降っていたのは知っていたが、朝には天気が回復するだろうと勝手に期待していた。ところが、夜が明けてもまだかなり降っている。予定通りヒール・ハウスに行くことにして、宿を出た。雨は何とか上がったように見える。

 昨日、宿にたどり着くまでに散々歩いたので、今日は少し考えを変えて、来たときと別の道を通ってみた。その結果、こちらがずっと近道だと判明。断然近いしわかりやすい。最初、この道は交通量が多い車道を通ることになると思って避けていたのだが、実際は車道に沿った歩道があったのだ。面白い道で、どういう構造になっているのか、随分高い場所を通っている。右手下方が車道、反対側は塀が続く。この塀の向う側は住宅の庭らしく、ところどころに勝手口のようなものもある。景色が良い道で、進むにつれ、大聖堂の姿がぐんぐんと目の前に迫ってくる。途中、スモーク・トゥリーの大枝が、歩道の上に突き出している場所があった。雨後の水滴を湛えて、きらきらと輝いている様が美しい。

 バス・ステーション、8時35分の筈のバスは数分遅れて来た。往復切符を頼んだが、時間が早いので片道しか買えないと言う。片道2£は高い。どうやら、通学バスらしく、高校生がどっさり乗っていて喧しいのなんの。尤も、彼らはすぐにぞろぞろと降りていった。Priory Schoolとあるところを見ると、あのうるさいガキどもって修道院付属学校の生徒? なんだが身の程知らずな気がする。ほっとしたのも束の間、恐ろしいことに今度は小学生の集団がぞろぞろ乗ってきて、バスはたちまちのうちに動物園と化した。引率していたのは厳しい女性教師で、この不出来な餓鬼どもをびしびしと叱りつけているのが爽快だ。何度も名指しで注意されている男の子がいた。有り難いことに彼らも間もなく降りていったが、降り際に運転手と言葉を交わしていた。「子供たちを良く従わせてますね」「そうでもないのよ」。まあ、大変な仕事だ。御苦労様。

 9時15分頃、庭園の入り口の私道の入り口で下ろして貰う。帰りのバスはどこから乗れば良いのか尋ねると、今過ぎてきた小村Middle Woodfordの方向に戻るのが良いとのことだ。

 

ヒール・ハウス・ガーデン

 道端にゲートがあり、ヒール・ハウスの表示がある。雨がかなり降ってきたが、辺りには雨宿りする場所もないので、構わずマナーの方へ進む。牧草地の中に伸びる道はまだまだ行く手遥かな感じがしたが、歩くと意外に近かった。左手に石の門、その間に庭と館が見えた。

 黒く艶やかな犬が門の中をうろうろしている。だが、この門は締め切りで入り口はそのまだ先。第一、10時の開園までまだ随分時間がある。天気さえ良かったら、この辺りを散策して過ごせるのだが、こうずぶずぶ降ってはしようがない。門前に大木があるので、その下で雨宿りする。有り難いことに、ここだと雨は殆どかからない。しかし、なんとなくうらぶれた感じだなあ。

 郵便配達の車が入っていった。多分、私道から館の方へ向かうのだろう。イギリスの郵便の勤勉さにはいつもながら感心する。日本もこの点、もっと見習って欲しいものだ。

 しばらく木の下で雨宿りしていたが、見るとこの先にあるプラント・センターはもう開いているようなので行ってみる。かなり広く、一面に苗や庭の道具が並んでいるが、露店なので雨宿りにはならない。その奥に小さな売店がある。既に人がいる。入って良いかと聞いたら良いと言うことだったので、売店の中で時間潰しをすることにした。こまごまとしたものが並んでいてなかなか楽しい。奥の方はアンティークが並んでいる。でも、この辺り、殆ど目が届かない場所にこう色々と並べて大丈夫なのだろうか。なるほど、良く見ると、高価そうなものは流石に硝子ケースの中に入っている。そのケースの中にScarlet Pimpernelのハードカヴァーの古本があった。表紙は冴えないイラストだが、気になる。この中はどうなっているんだろう。でも、勿論このケースは鍵がかかっているよね、と蓋を動かしてみると、簡単に開いた。なんだ。さて、中を開けてみると、シリーズ4話を1冊にまとめたもの。欲しかったが20£の値段はちょっと迷う。実はこのオルツィ女男爵の原著を読んだことがないので、買って全く歯が立たなかったら、悔しい。それに、このシリーズなら、この本でなくとも、ペーパー・バックでも入手出来るに違いない。まあ、止めておこう。(結局、原著はまだ見つかっていない。)

 

アヤシくもすばらしいガーデン・オーナメントの数々。欲しいものが色々あったのだが、持ち帰るのは無理で残念。ひとつずつ値段のついたヘジホグ(ハリネズミ、上の写真)など、ラヴリー。下の庭椅子も素敵。

かえるですよ、かえる。 まつぼっくり、欲しい。どうして日本には売っていないのだ?

 雨はまだかなり降っている。むしろ前より激しくなったようだが、10:00になったので入場券を買い、中に入る。と、向こうからとことこやってきたのは先程の黒い大犬。きれいだけど、ちょっと大きくておっかないのでそ知らぬ顔をしてやり過ごす。

 雨に濡れた緑がみずみずしい。小川のほとりに何だか見覚えがあるような意外なものが見えている。鮮やかな朱塗りの橋だ。この辺りは日本のウォーター・ガーデンらしい。流れの傍らには茶室などもあり、何とも不思議な光景だ。

朱塗りの「ニッコー・ブリッジ」と茶室(右写真左奥)。日本庭園は外交の仕事で赴いた当主の名残。

 左手の方には煉瓦塀に囲まれたキッチン・ガーデンがある。雨は相変わらず降り続いているので、あまりじっくり見る余裕はないが、ここはなかなか面白かった。壁に沿って整形されたエスパリエの果樹。赤く美しい実をたわわに付けたレッド・カラントはすっぽりと鳥避けのネットをかぶせられているが、あちこちに結構穴が開いているのであった。

 奥の方には館が見えるが、そこは非公開だ。日本庭園とキッチン・ガーデンで終わりとは、案外地味な庭だ。雨はまだ降り続きそうだし。最初のうちは殆ど無人であったこの庭、少し前に団体が着いて急に賑やかになってきた。早めに出て、引き返そうか。 殆ど帰りかけて、ふと見ると、この団体、奥の方にぞろぞろと歩いていく。でも、そちらは非公開だと思うのだが。念の為、彼らに続くと、何と奥に更に庭は続いていたのだった。良かった。もう少しで見逃すところだった。

日本庭園と茶室、何故かグネラ(左)の巨大葉が。 雨で倒れてしまったデルフィニウムたち。 バーバスカム越しに館を望む。
雨に濡れて宝石のような水滴を湛えたアルケミラ・モリス。 中庭の壁に沿って育っている巨大な常緑樹。ホウノキあたりか。 コテージガーデン風の窓辺。

 芝生を挟んで、館の建物が見える。そして今まで以上に素晴らしい庭が。でも、ここ入って良いのだろうか? ちょっと不安だったが、別にプライヴェートの標識もないようだし、と次第に大胆になって歩き回る。すぐ傍らを川が流れ、階段の下まで小川の流れが寄せている。その古びた石組みの有り様。ムスク・ローズが集団で植えてあり、ペネロープ、バフ・ビューティなどが満開だ。惜しむらくは、雨に打たれて花がうつむいてしまっていること。 敷石の間に生えたアルケミラ・モリス、黄色い花と円形の葉に置かれた水滴の様が実に美しい。もしも、快晴だったら、この情緒は味わえなかっただろうと初めて悪天候に感謝する。

 鮮やかな黄色のバーバスカムにピントを合わせ、背景に館を入れて写してみる。と、傍らで見ていた中年の男性が、「同じことをやってみる」と自分も一枚写す。良い機会だったので、「ドイツから来たのですか?」とドイツ語で聞いてみると、お答えは「そう。で、君は日本から? で、英語の方が良い?」「そうですね、その方が良いです」(私のドイツ語は片言の半分くらいである。)彼らはハンブルクから来たガーデン・ツアーのグループだと言う。「ハンブルク、行ったことありますよ。『オペラ座の怪人』で」

 売店に戻り、古本2冊と小さな焼き物の額絵、種にガイドブックを買い、合計19.91£払う。例の本は見送ることにした。きれいなティー・カップがあったので、ふと裏を見るとMade in Japan。へえ、と思っているとドイツ人の3人組が庭の道具類を手に取っている。そのうちひとりが、Made in Germanyと叫び、全員どあっはっはっと笑っていた。

帰路、私道から公道を望む。小さく見える門扉に注目。

一旦、ソールズベリに戻る

 雨はようやく上がったようだ。ここを出て、村まで歩く。ソールズベリへのバスは13時47分とかなり時間がある。時間潰しを兼ねて、村のパブでお茶でも、と思ったら、隅から隅まで歩いてもこの小さな村にはパブがなかった。(信じられない。どんな小さな村にも必ずパブはあると聞いていたのに。)唯一目立った村の建造物は教会。入り口に葬式門があるのが珍しい。話には聞いていたが私は初めて見た。こうなったら、次のバスまで葬式門のベンチに腰を下ろして待とうか。

 念の為にもう少し進んで見ると、三差路になったところに電話ボックス発見。しかし、コイン式なのに小銭がない。多分かからないだろうと思いながら、ノーフォークの案内所で教えてもらった「最寄のタクシー会社に繋がる」という魔法のフリー・フォンの番号を回してみた。期待していなかったにもかかわらず、意外にもちゃんとつながった。電話の形式によって違うのかも知れない。タクシーはすぐに来てくれると言う。場所はどこかと聞かれてはたと困惑。「ウッドフォード村の教会近くの赤い電話ボックスのところ」。これでわかるかと思って半信半疑で待っていたら、ちゃんと来てくれた。

葬儀の時に、この下で聖職者を待ったりした。両側にベンチがある。しかしパブのない村は初めて見た。「上」「中」「下」の3つの村で、パブ、教会、学校をひとつずつ持っているのかも知れない。 上ウッドフォード村と下ウッドフォード村とある標識。それではここはどこ? 「あっち」と「こっち」の世界という感じだ。例の電話ボックス。

 田舎を巡りながら走ったローカル・バスと違ってタクシーは素早い。あっと言う間にソールズベリ着。7£はかなり高いが。 この日は午後から鉄道でモティスフォント・アビーに行ったのだが、そのことはまた別の機会に。

 

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