Gilbert White's House

ギルバート・ホワイツ・ハウス

オーツ・メモリアル・トラスト所有

2001年6月21日訪問

所在地  イングランド南部 ハンプシャー
お勧め宿泊地  ピータースフィールド、
(ロンドン、ウォータールー鉄道駅からポーツマス方面行き列車が頻発。1時間程度。)
公共交通機関 ピータースフィールド、オルトン間の路線バス72番
公開日(2001年度) 1月〜12月24日の毎日11時から5時

「セルボーンの博物誌」で有名なギルバート・ホワイトの村セルボーンは前々から一度行ってみたいと思っていたところ。名高い割には観光名所でもないようで、どの程度期待して良いものか、全くの未知数。

庭から建物を望む。

ピータースフィールドからセルボーンまで

 ピータースフィールドの鉄道駅前、9時30分発のバスで出発。セルボーンまでは往復3.5£、約27分。何だか昨日行ったヒントン・アンプナーと同じ道のようで不安になり、券の行き先を確認する。ちゃんとセルボーンとあるのでまずは安心。

 セルボーンはピータースフィールドのほぼ真北にあるが、途中の村を経由するので多少北東に向かって走る。辺りは随分緑が濃く、森蔭や切り通しを抜ける。道のすぐ横、左手に古い墓地に囲まれた教会の廃墟が見えた。面白そう。下りてみたい。でもここで下りたら次のバスは3時間後。目先の欲望に惑わされると、当初の目標を逃すことになる。我慢我慢。

 

セルボーン・コモンを歩く

 10時少し前にセルボーンに着いた。ギルバート・ホワイトの家が開くのは11時からだ。それまで村を歩いてみようと辺りを見回すと、車道の反対側に「セルボーン・コモン」とあるフットパスの標識が見えた。コモンとは即ち共有地のことだ。名前を聞いただけで、往年のイギリスの村落の雰囲気が感じられるような気がする。勿論行ってみない手はない。

 駐車場の傍らから始まる小道を進むと、やがてジグザグ・パスとの標識に行き当たった。行く手は木々に覆われた小高い丘になっている。ホワイトが兄弟と一緒に切り開いた道だとの説明書きがある。かなり急な階段が文字通りジグザグに続いている。ジグザグのおかげで歩きやすいことは確かだが、それでも登り道は息が切れる。だが、それだけの報酬は得られるもので、たちまち眼下に開けてくる眺めには目を見張らずにいられない。鬱蒼と茂る木々の海に隠れていたセルボーンの村の姿が、正に絵のように浮かび上がった。見事ではあるが、背中には目がないので、頻繁に立ち止まっては背後を見返った。これではなかなか先に進まない。

 それでも僅かの間に随分高い位置まで登った。どこかで木を切るような音がしているので何かと思ったら、道を上り詰めた辺りに小屋のようなものがある。屋根の上に人がいて、修理をするのか、取り壊しているのかは不明だが、屋根をはがしているのだった。顔を合わせたら挨拶しようと思っていたが、間に木陰があるのでそのまま通り過ぎる。

今これを書いていて初めて気づいたのだが、「木槌をふるう音」が「木を切る音」に聞こえたということは、「斧で木を切る音」と受け取っていたようだ。今時、どんな山奥だって電動のこぎりか、それでなくとも普通ののこぎりを使うのが一般的だろう。これって、セルボーンの人々が今も18世紀の世界に生きているように感じていたということかも知れない。

 ようやく台地の上に出て、道はほぼ平坦になった。今までの人ひとり幅の歩道とは違って、こちらは未舗装ながらも広々として歩きやすい道だ。時々車の跡や馬の蹄が見えるのは、今来た歩道以外に来る道があるという事だろう。道の左右には野薔薇がしだれ咲き、ハニーサックルが香り、咲き始めたばかりのジギタリスの群落が息を飲むほどに見事だ。道は延々と続き、広々とした木々が点在する場所を通ったかと思うと、森の傍らや、時には森の中を通ったりする。まるで21世紀とは思えぬ、時に忘れられたような野道だ。ギルバート・ホワイトが歩いた18世紀にも、同じような光景が見られたに違いない。

道の傍らのノバラ、多分Rosa Canina(Dog Rose)。

 

野生のジギタリスが一面に咲く。 ジギタリス、アーップ!! 野生のワスレナグサも咲く。

ハニーサックルとノバラ。 傍らには開き始めたノバラが。 ノバラが垂れ下がる道。どこまで続く?

 ところで、この道はどこまで続くのだろう。10時45分頃、そろそろ引き返そうかと思った頃、行く手に標識が現れたのでほっとする。そう言えば、木立の向こうに家が見える。ここがコモンの終わりらしい。この辺りは森蔭の暗い場所で、左右に乗馬用の道が続いている。こちらの道を通って引き返そうかと思ったが、フットパスとの表示はないので、元来た道を戻ることにした。別に馬が通るなら人間も通って良いわけだが、方向も違うようだし、変な場所に向かったら困るし。

ジギタリスの群落。 広々とした草地に出た。赤い花のように見えるのは植物の穂だったと思う。

 元来た道を少し戻ったところで、左手に別の道を見つけた。農地を越える別のフットパスがあるようだ。ここを通っていこうと入りかけたら、中にはトラクターがいて薬剤のようなものを撒いているのが見えた。そう言えば、先程、木立の中で機械の唸りが聞こえていたが、その正体がこれだったのだ。気味が悪いので、この道は諦めて元の道を戻る。

 途中に犬連れた女性に会う。すれ違うかと思ったら、犬を押さえてこちらが通り過ぎるのを待っている。こういう人は珍しい。なかなか美しい大型犬なので種類を聞いたが耳慣れないものだった。非常に珍しいものだという。写真を撮るのを忘れたのが残念だ。犬の名前を聞くのも忘れた。

 行く手を何か過ぎったと思ったら、大きな角を持つ鹿が道を横切って走り去った。ほんの一瞬の出来事だった。これ程人里に近い場所に野生の鹿がいるとは驚いた。

 先程の工事中(破壊中?)の家まで戻り、右手に見つけた別の道を通って下りるつもりだった。だが、少し進んでみると、こちらの道は非常に細い上、人が通らないらしく草で覆われているので、諦めて、元のジグザグ・パスを下る。下りは当然ながら登りに比べて早く、そして景色が抜群だ。下り切ったところで、どの方向に進むか迷ったが、適当に歩くことにする。右手には背の高い生垣が壁のように続き、来た道とは違うような気がしたが、結局は元の道に出た。ということは同じ道を通ってきたのか。良くわからないが、まあ良いか。

 

ギルバート・ホワイトの家

 11時10分頃、いよいよギルバート・ホワイトの家に向かう。左手(セルボーンに来たときの進行方向)方向に標識が見えたのでしばらく道に沿って進むが、なかなかそれらしいものが見つからない。少し不安になってきた頃にようやく見つけた。道の左手にある小さな建物だ。4£を払って入ると、広いギフトショップ、その奥に庭があるのが見える。が、まずは建物が先だ。

 建物の内部は暗く、部屋はごく狭い。家族や先祖の肖像画が飾られているが、不思議なことにホワイト当人のものは1枚もない。室内の家具を保護する為だろう、張り出した窓辺に白い布がかかっている。その奥を覗くと、結構広い空間があったのでそこに入り込んで庭の様子を眺める。窓から見えるのは広々とした芝生だ。その向こうに先程散策した小高い丘の緑が見える。ついでにここで帰りのバスをチェックする。最初は12時10分のバスに乗るつもりだったのだが、1便遅らせて13時45分にした。これで随分余裕が出来た。

 上の階にはオーツ・ミュージアム(Oates Museum )というものがある。てっきりカラス麦(oat)関係の展示だと思って上がっていくと、大はずれ。人名だった。オーツ一族で、スコットの悲劇に終わった二度目の南極探検に参加したローレンスと、その伯(叔)父で南アメリカとアフリカに旅した博物学者フランクに関する様々な展示がある。

 注、スコットの最初の探険とディスカヴァリー号の展示はスコットランドのダンディで見られる。

 庭は素晴らしいの一言。一目見た途端、この後行くつもりだったアパーク(Upark)のことなど、もはやどうでも良いと思った。庭は今が盛りで各種の薔薇、数々の花が咲き誇っている。広々としたキッチン・ガーデン、奥には池や橋など、ちょっと東洋的な区域もある。整然と刈り込まれた垣根。花が終わったキングサリのアーチがある。このアーチは有名なバーンズリー・ハウスのものよりも大きいように思う。巨大な木陰に座ったが、このすぐ背後の壁の向こうに道路が通っているらしく、轟々と車の音がするのが惜しい。目立つ大きな花が咲いていて、良い香りがする。男性がこの木を指してチューリップ・トゥリーだと家族に教えていた。全てが素敵だ。しかし、一番見事なのはやはり各種のオールドローズが花盛りの薔薇の庭。カンパニュラの青紫が辺りを引き締める。

ハウスの内側から隠し撮り。これナイショ。 キングサリのアーチは1972年に作られた。今は花ナシ。 キッチンガーデンの巨大なアーティチョーク。背後の緑は先程歩き回った野山。
確かに見覚えはあるのだが…なんだっけ? これが噂のチューリップ・トゥリー。見上げる程に巨大。 庭への入り口にある原種バラのアーチ、(庭側から)。
アルバ・マキシマ、遅咲きの種類でピークはこれからだ。 紫のカンパニュラが赤いバラを引き締める。 ご存知、ロサ・ムンディ。
キッチン・ガーデンの柱の上で得意げにさえずっていたブラックバード。 芝生を挟んで館を望む。
整然と刈り込まれたイチイ。 色鮮やかなフウロソウが花盛り。
キッチン・ガーデン。 薔薇園はホワイトの時代は隣家の敷地だったらしい。
広々とした芝生、ハーハの彼方に見えるのは1761年にホワイトが置いた日時計(らしい)。 半ばケシ坊主になったケシの花たち。背後に伸びるイチイの生垣。
バラ、カンパニュラ、フウロソウの柔らかな色合わせ。 蕾をぎっしりとつけている控えの選手たち。花が咲いていないときは薄情なものでこれが何か確かめるのを忘れた。あんた何もの?
チューリップ・トゥリーの花。握りこぶし大。もっと開くのかな。 ピークはやや過ぎていたものの、存在感抜群のオニゲシ。
バラと共に様々な花が植え込まれていた。

 

ホワイトの庭のバラ図鑑

特に珍しいものはそれ程多くないが、古典的な品種が見事に植えられていた。

規模はごく小さいながらもオールドローズの愛好家には是非是非お薦めしたい庭。

何と言っても人が少ないのが良い。

Rosa Gallica violacea、紫の一重〜半八重で咲き始めたばかり。 Rosa Gallica conditorum、少し紫を帯びた豪華な花。
多分Celsiana。薄紙細工の花のような繊細な美しさ。 多分Celeste
Alba Semiplena。オールドローズの中では遅咲きらしく、まだまだこれからの雰囲気。 Alba Maxima。左に同じくこれも遅咲き。

Apothecaries RoseとはRosa Gallica Officinalisの別名とばかり思っていたが、何だか別物のような気がした。少し黒味を帯びてかつかなりブライト。オフィキナリスのぼたん紅色の花ではなかった。 Alba Maxima、何だかへんてこな形の花を写してしまったような気がする。ジャコバイト・ローズと呼ばれるもの。

 ショップは意外に広いが、どこにでもあるようなみやげ物が中心で、折角のホワイトの家ならではというものがない。あれ程美しい庭なのに、カラーのパンフレットもないのが残念だ。辛うじて、ハウスに関するコピー本のような小冊子と、セルボーンに関する小冊子を1冊買った。製本の質素さの割には高価。でも、これこそ他では入手不可能な物だし、と奮発。ついでに、気になっていたこと、どうしてホワイト当人の肖像画がないのか聞いてみた。その答えは「彼は未婚だったので」。当時、肖像画は結婚の折に描かれるのが普通だったので、終生未婚のホワイトは肖像画を残さなかったのだと言う。それはますます奇妙な話だ。ホワイトは確か教区牧師だったと思うが、牧師は妻帯して、妻と共に教区の指導に当たるのが普通。牧師夫人が不在の教区では、村民たちがさぞ難儀したことだろう。何だか気の毒である。

注、後で確認したら「牧師補」であった。

 平日とは言え、訪れる観光客の姿はごく少ない。日本人はあまり来ないのかと思ったら、そうでもなく、日本人の学者親子が来たことがあるという。父親は大学教授で、熱心なホワイトのファンだったそうだ。

 13時45分丁度に来たバスで名残惜しいながらもセルボーンを後にする。再び怪しい教会廃墟の傍らを通り、ピータースフィールドに戻った。この後、南の近郊にあるナショナル・トラストの庭、アパーク(Upark)を訪ねたのだが、その話はまた後日(本当か?)。

セルボーンのスナップ写真。不滅の「モンキー・パズル・トゥリー」(画面中央)はイギリスでよく見る南米原産のヘンな樹木。 パブ「ザ・セルボーン・アームズ」の看板(上)とフラワーボックス(下)

  

セルボーンの博物誌(The Natural History of Selborne)

ギルバート・ホワイト(1720-1793)著。西谷退三訳、八坂書房。

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